◎『夜の桃』渡英子歌集 2008年12月刊。
奇しくも馬場あき子さん『太鼓の空間』と同じ発行日になっている。装幀作業はほぼ同じ時期だが2週間ぐらいの開きがあった。目次、「ゆふぐれの手」からの一首「あめいろの打身のあとも剥かれゆき鳥羽玉の夜の桃は匂ふも」あとがきにある表題の歌だがここからだけ装幀をイメージするにはとても難しい。いくらか選んでもらった。その中に「やわらかな瓦のせたる家並の伊予の角なしびとは菜のはな」があった。装幀のやわらかな匂いはただの一面かも知れないがどうやらポイントは其処であるらしかった。テイク1にあった「桃」は姿を消した。あとがきの無い本もいいが、有るのもいい。あとがきによると沖縄から東京へと移られても歌人としての悩みは持越されたようだ。どうやらぼくの苦手な「人がかの地に棲むことの重さ」である。
昨年、渡英子さんには東京の花山周子さんの歌集批評会で挨拶を交わした。装幀は先に評論集『詩歌の琉球』(08年6月刊)で先鞭をつけていた。この本のあとがきに「散文のかたちを借りた沖縄への私の相聞歌である」とある。「南島からの視線」という章に司馬遼太郎の『街道をゆく』からの引用がある。「沖縄を知るには困難さが一つある。沖縄のほかに、[沖縄問題]というもう一つの世界がある...」と。これを渡さんは「住む者にとってよく分るもどかしさ」と、ご自分の沖縄での生活体験から述懐されている。渡さんの言うように沖縄人(うちなんちゅう)と「本当の意味で知己になるのは難しい」のかも知れない。その避けて通れないもどかしさと、歌人はどう向き合うのだろう。渡さんが言うように短歌は「....彼我の差異を共有することが不得意な詩型」かも知れない。[うたう]ことは説明を加えることではないが[音]と協奏することは可能だ。和歌に対して八八八六の三十音からなる琉歌は音楽とともに在ったようである。三線(さんしん)の音とともにその四行詩は謡われたのだった。話は変わるが昔大阪の行きつけの飲み屋さんで彫刻家金城実さんとよく出くわすことがあった。最初は恐い人だったが謡が入るとすっかり陽気な踊るおじさんだった。子どもの相談をしたり、彫刻や版画の話をしたり、共通の友人がいたりで「仲良く」なった。先日偶然観た「沖縄戦」を扱ったテレビ番組に出演されていたが、久しぶりだった。元気そうだったがもうお会いする機会はないかも知れない。行きつけの飲みやさんも廃業になったからだが、たまに来阪されるのだろうか...。さらに話は変わるが『詩歌の琉球』編集製作は砂子屋書房社主の田村雅之さんの手になるものである。砂子屋書房の「弧琉球叢書」はこれで7冊目になる。田村さんは沖縄通、どの本も研究書として「重い」労作である。装幀の貌はどうなのか、は次に紹介します。
●どちらも四六判ハードカバー装、『夜の桃』208頁、『詩歌の琉球』280頁。どちらもタイトルに墨つや箔を使用。『夜の桃』のポイントはちいさな四角形を画像に添って12ヶを浮き出し空押ししたこと。画像に被った部分が効果的だった。このようなことを嫌う向きもあるだろうがやはりここは特異な質感は欲しいところ。『詩歌の琉球』はカバージャケットに沖縄弧文様を縁ぼかし使用した。筋度の高い、がちっとした丈夫な用紙を使った。質感、質感、また質感。
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