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2009年2月

2009年2月27日 (金)

◎『夜の桃』渡英子歌集 2008年12月刊。

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奇しくも馬場あき子さん『太鼓の空間』と同じ発行日になっている。装幀作業はほぼ同じ時期だが2週間ぐらいの開きがあった。目次、「ゆふぐれの手」からの一首「あめいろの打身のあとも剥かれゆき鳥羽玉の夜の桃は匂ふも」あとがきにある表題の歌だがここからだけ装幀をイメージするにはとても難しい。いくらか選んでもらった。その中に「やわらかな瓦のせたる家並の伊予の角なしびとは菜のはな」があった。装幀のやわらかな匂いはただの一面かも知れないがどうやらポイントは其処であるらしかった。テイク1にあった「桃」は姿を消した。あとがきの無い本もいいが、有るのもいい。あとがきによると沖縄から東京へと移られても歌人としての悩みは持越されたようだ。どうやらぼくの苦手な「人がかの地に棲むことの重さ」である。

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 昨年、渡英子さんには東京の花山周子さんの歌集批評会で挨拶を交わした。装幀は先に評論集『詩歌の琉球』(08年6月刊)で先鞭をつけていた。この本のあとがきに「散文のかたちを借りた沖縄への私の相聞歌である」とある。「南島からの視線」という章に司馬遼太郎の『街道をゆく』からの引用がある。「沖縄を知るには困難さが一つある。沖縄のほかに、[沖縄問題]というもう一つの世界がある...」と。これを渡さんは「住む者にとってよく分るもどかしさ」と、ご自分の沖縄での生活体験から述懐されている。渡さんの言うように沖縄人(うちなんちゅう)と「本当の意味で知己になるのは難しい」のかも知れない。その避けて通れないもどかしさと、歌人はどう向き合うのだろう。渡さんが言うように短歌は「....彼我の差異を共有することが不得意な詩型」かも知れない。[うたう]ことは説明を加えることではないが[音]と協奏することは可能だ。和歌に対して八八八六の三十音からなる琉歌は音楽とともに在ったようである。三線(さんしん)の音とともにその四行詩は謡われたのだった。話は変わるが昔大阪の行きつけの飲み屋さんで彫刻家金城実さんとよく出くわすことがあった。最初は恐い人だったが謡が入るとすっかり陽気な踊るおじさんだった。子どもの相談をしたり、彫刻や版画の話をしたり、共通の友人がいたりで「仲良く」なった。先日偶然観た「沖縄戦」を扱ったテレビ番組に出演されていたが、久しぶりだった。元気そうだったがもうお会いする機会はないかも知れない。行きつけの飲みやさんも廃業になったからだが、たまに来阪されるのだろうか...。さらに話は変わるが『詩歌の琉球』編集製作は砂子屋書房社主の田村雅之さんの手になるものである。砂子屋書房の「弧琉球叢書」はこれで7冊目になる。田村さんは沖縄通、どの本も研究書として「重い」労作である。装幀の貌はどうなのか、は次に紹介します。

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●どちらも四六判ハードカバー装、『夜の桃』208頁、『詩歌の琉球』280頁。どちらもタイトルに墨つや箔を使用。『夜の桃』のポイントはちいさな四角形を画像に添って12ヶを浮き出し空押ししたこと。画像に被った部分が効果的だった。このようなことを嫌う向きもあるだろうがやはりここは特異な質感は欲しいところ。『詩歌の琉球』はカバージャケットに沖縄弧文様を縁ぼかし使用した。筋度の高い、がちっとした丈夫な用紙を使った。質感、質感、また質感。


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2009年2月12日 (木)

◎『太鼓の空間』馬場あき子歌集 2008年12月刊

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 馬場あき子さんの最新歌集。さすがの二十二冊目になる。05〜07年2月までの集成。初出一覧をみると短歌雑誌や新聞や通信誌などと多岐にわたっている。
「冬の都市沈黙の澱(おり)のごとき霞に沈みて悪霊のごと嘔吐するあり」「台風は石榴のみのり落としたりつくづくとその酸を嗅ぐ猫」この二首がこの歌集の入口と出口の歌。「悪霊のごと嘔吐する」「その酸を嗅ぐ猫」ともに結句が馬場さんらしいと思うのだがどうだろうか。「つくづく」猫が嗅ぐさまはなにか臭ってきて可愛い、見たことのある光景。「さまざまな駅の時間の中にある昼のカレーのほのかなあはれ」これも「ほのかなあはれ」が好き。「心乱るる」というのもある、「一夜花咲くを見てをりゆるやかに咲ききりたれば心乱るる」
 「一つのことからいろいろのことを思い出し、広げていく方法が、ようやく齢を重ねてきた私にとっては似合わしいように思われるようになりました」とあとがきにある。表題の「太鼓の空間」から一首、「大太鼓一つし打てば一つ跳び五月の寺にゐる青蛙」妙があって、音が聞こえ、色が見え、一寸可笑しくなんとも好き。

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●四六判ハードカバー装、232頁。表紙布クロスはシルキーピンク色、図案は艶けし銀箔押し。カバーのタイトルは墨箔押し。見返しと扉はキュリアスメタルホワイト。このカバーのミソはやはり三本の曲線の浮き箔だろう。マーメイド紙に箔はやはり厳しかった、現場はともかく課題は残った。バックのピンクは最初はただのグラデーションだったが、最終的には少し緑の入った淡い桃空の映像を4色で分解した。本文は勿論、いま一番新しい!活版刷り。


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2009年2月 7日 (土)

○長征社という情熱

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 長征社の主宰、市山隆次さんとは長いつきあいになった。83年に若一光司さんの文藝賞の受賞を祝う会が大阪であり二次会場で若一さんから紹介を受けた。「装幀事務所」の名刺を渡すと市山さんは「ほう、」と言った。「ほう、」というのは名刺に「装幀事務所」があったからだが「関西でめずらしい」と言われたことを憶えている。のちに大阪で岩波の編集者であり装幀家の田村義也さんに渡したときも同じ「ほう、」が返ってきた。ついで「デザイン事務所じゃないんですね」と微笑まれた。この名称はたぶん日本で一つしかないだろうという自負はあった。(それがどーしたの、と言われても仕様がないが)それじゃあデザイン事務所ではないのか?わたくしはデザイナーではないのか?「じつはそうなんです」という「装幀家とブックデザイナーの違い」は長くなるので、また後日。
 さて市山隆次さんだが最初の印象は眼がぎょろっとして太っ腹で海賊みたいだった。失礼な話だがとても出版社の人には見えなかった。今まで見たことのないタイプ、眼光するどい事件記者のようでもあった。後日、西中島南方という地下鉄の駅の近くの事務所に出かけた。新しいエッセイ集の件だった。大きな倉庫のようなワンルームがその海賊の住処(?)だった。段ボールの山と草野球用の野球のバットやミットが目立った。やはり変わった出版社だと思った。名著、北井一夫『新世界物語』で知る人ぞ知る版元だったがその当時は未だ発行本は少なくノンフィクションものでは関西随一になるのはずっと先のこと。ざっと思いつくだけで『ジンバブエ』『シベリアをわたる風』『議会という装置』『私は女』『がんばれコータ』『ジュンパ・ラギ』『陛下にヨロシク』『われら國民學校生』『上海ちゃんぽん』『少女宣言』『瀬戸内海底探査』『望郷のシンフォニー』『父・KOREA』『理想のゆくえ』『ジンバブエ・収穫の秋』『草とり草紙』『トランの国』『走れ藤村』『女・仕事』(順不同)等々…。どれもこれも広範な社会性を孕み人間味に富んだ興味深い本ばかりだ。この本の多くはぼくが装幀させてもらったが懐かしい思いが山ほど詰まっている。
 市山さんは「面白い」と感じた著者やテキストには無類のエネルギーを発揮する。装幀にもきびしい。校門圧死事件を扱った『少女15歳』などは喧々諤々ついに最後にはあらゆる画像はトルだった。質感の強い用紙に大きな墨箔の文字があるだけである。市山さんの強気が心配になったぐらいだ。多くのノンフィクション本はインパクトを求めてショッキングな写真や画像を前面に押し出す。市山さんは本文に写真を数多く入れるが、表紙やカバージャケットはシンプルなものを好む。装幀者はまずその骨太志向と対決しなければならない。市山さんと著者の付き合いも独特だが「喧嘩上等」がその主流にある。「う〜ん成るほど」と唸ることもあるが、「ちょっと違うんじゃないの」と思うこともある。つい部数について忠告してしまったり、装幀者の分をこえて言わずもがなのことだが言ってしまう。知らぬ間にシンパになってしまっている。市山さんの熱さは直球もあれば変化球もあるがかれの球を受けていると必ずしも決め球にならないこともわかる。だからどんどん先へいったのだろうと思う。
 長征社のファンは多い。それは出す本に魅力があるからである。ぼくの知る限り手弁当で編集に参加したいという編集者は一人や二人ではない。読者や編集者をこれ程惹きつける出版社もそうない。しかし、である。「経済」が阻む。どこの出版社もそれに苦慮していることを忘れてはならない。とくにベストセラーやロングセラーを持たない中小の規模だと企画を間違えると致命傷になる。長いこと装幀で関わったから理解できることも多いが、市山さんは人に負担を強いることの辛さでくたくたになっていたと思う。いかに「熱と理由」があろうとも各種圧力を受けるとムリがうまれる。市山さんが病を得るに及んで、全速で奔ってきた長征機関車はいまは停止している。
 長征社出版の魅力は「出したい本を出す」という単刀直入な態度にあると思う。そんなこと無茶だと大抵の人は言うが内心羨んでいるに違いない。それは出版の原点を内包しているからだ。単独だから出来る出版のかたちもあるのだろうし、ゲリラには社会の「撃鉄を起こし引き金をひく」というそれなりの役割がある。ちかごろ流行りの売れるタレント本などは笑止論外。何もかもベストセラー万歳ではないことは猫にでもわかることだニヤア。
 神戸元町のおでん屋で市山さんにご馳走になったことがある。鍋の中の煮詰まった具材は各々が長征社が出した本のようだなと思った。みな味つけは同じで色合いも似ているが口に含むとまったく味が違う。怒りや微笑みをもって、愛情を持って、いまの時代にこそ長征社を待望したい。

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◎『ZIMBBWE ジンバブエ』 1997年10月刊

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 著者の高橋朋子さんは南部アフリカのジンバブエで十数年、暮らしている。原稿は首都ハラレからのファクスで送り続けられたもの。冒頭にある第一章「アフリカの扉」から引用すると「なぜアフリカに来たのか。それはジャマイカで生まれた音楽、レゲェに魅せられたからだ。(中略)その頃ジンバブエは、白人政権ローデシアが、すでに独立を認めたかのように見せかけるためにつくった“ジンバブエ・ローデシア”政府で、ボブ・マーリイはこの年[生き残るもの黒人(SURVIVAL)]というすばらしいLPを発表し、その中で、この独立の戦いを支援する[ジンバブエ]という、美しい虹のようなコーラスで終わる曲を歌っている」とある。高橋さんは音楽プロダクションのデイレクタ−としてさすがに詳しいがとくにレゲェ、ボブ・マーリイの熱烈なファンだ。ボブ・マーリイに捧げる小説家中上健次さんの詩や、マンガ家狩憮麻礼さんの『青の戦士』や、ハイネ・ヘリマ監督の映画「3000年の収穫」についての言及があり、この章の最後にはこう締めくくっている。「アフリカに行ってみよう。新しい音階のような、美しいひびきをもつ国の名、ジンバブエ。アパルトヘイト下から独立を闘いとったという、その国にも行ってみたい」「ボブ・マーリイの歌は、アフリカへの扉だった。その扉の前に立つことができたのは、あの大阪のフェステイバルホールでのコンサートの7年後である」と。そのライブは相当すばらしいものだったようだが、ぼくのレゲェについての不明はともかく「歌が扉を開ける」などとは羨むべき話だと思う。歌のちからが本当に人を動かす、という典型であろう。

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●A5判ソフトカバー3色刷り。268頁。ジンバブエの風景、人々の写真、絵、乗車券やポスターカードなどがワイルドに挿入されていてリポートに立体感を与えている。「人種差別」やいわゆる「混乱のアフリカ」だけでなく人々の身近な生活も理解できる。ちからをもらえるお勧め本。装幀はずばり、カバー、表紙、見返し、帯、厚めの[レザック96オリヒメ]でまとめ、手触り感を重視した。ぼくも気に入っている一冊。続編『ジンバブエ・収穫の秋』は2000年6月に刊行された。その長征社編集部のまえがきには「西側」情報に囚われている日本人のためのリポート、とあった。なるほど。     

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2009年2月 3日 (火)

◎ 『RADIO AM神戸69時間震災報道の記録』  2002年10月刊

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 サブタイトルのように地震当初からのラジオ放送を時系列にそってそのまま活字化している。95年1月17日早朝の出来事。当時のぼくの住んでいた高槻市は京都と大阪の中間点にあった。とても激しい揺れだった。仕事場は七階の古いマンションだったから壁にひび割れができたり食器棚から食器が飛び落ちてみな割れた。本棚はほとんど倒れたしTVやワープロも床に落ちてオシャカになった。仕事場に入ったとき足の踏み場もない状態で、ここに居なくてよかった、これは大変な被害だと思った。
 神戸は「それどころじゃない」ことを後で知ったが最初まったく情報がなく「死者が何人かでたらしい」ぐらいの話だったのだ。結局死者6400人以上という大災害だったが現場ラジオで69時間も放送し続けていたことは全く知らなかった。「奇跡的に生きていたリクエスト用の専用電話を介して」被災した人たちの救援放送局としてAM神戸は機能した。あとがきに「あの混乱のなかでは「確認」作業が非常に難しかった」とあるようにあえて誤報のあったことも含めて再現している。一人のリスナーとの自然発生的な交信で始まるこの記録はあの地震のなにもかもを語っているようだ。アナザ−サイドということもあるが自然災害に遭遇したときの助け合う人々の肉声が聞こえるようだ。この本はただ貴重な記録というだけではなく放送局の人たち自身の救援活動も含めて結局は「人が生きる」ことのちからを示唆しているように思えてならない。ぼくはこの本の内容に関わったすべての人に心からの敬意を表したい。

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●A4判ソフトカバー、ボール函入り。この本の要は何より本文。じっ懇の、長征社の市山隆次さん、大石十三夫さんの仕事。2段組で280頁。写真のように11級のちいさな文字がびっしり詰まっていて圧倒される。カバーも函もマットインキ1色使用。装幀者としてはどうしても無地に墨1色の構えしか思いつかなかった。地震後、暫くそれに関する装幀依頼は多かったがどの本も失われた人への痛切な思いがこもっていた。この記録が決定的なのはアナザ−サイドでありながら地震災害の本質があらわになっている点にあると思う。それは時として残酷だがそれも「情報」というもののかたち、彼我が共有する絶対時間のなのだから...。社屋内停電直後、十数分から始まり69時間、絶望と励ましが人の心に訴え続けたこととはいったい災害のことだけだったのか...メディア関係の人だけでなく、誰もが図書館で是非読んでみて、感じて欲しい一冊だと思う。この本は2003年の第37回造本装幀コンクールで部門賞(その部門での最優秀の本)を受賞した。これ、すなわち「本文」に与えられたものであるとぼくは確信する。

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