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2008年12月17日 (水)

◎ドローイング『次は20,002から』季刊磁場19号 1979年8月掲載発行

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 三嶋典東さんとの合作素描。国文社の『磁場』は当時の硬派雑誌だ。編集長は田村雅之さん。目次を見ると、吉本隆明さんをはじめ桶谷秀昭さん菅谷規矩雄さん中桐雅夫さん松本健一さん、詩人鮎川信夫さんもいる。永瀬清子さんは随筆『仲町貞子さんのこと』を連載している。この明治生まれの仲町貞子さんの貴重な作品集成(小説、随筆、雑記)は91年11月に砂子屋書房から全集として発行された。ぼくが装幀者として関わったがこの本の話はまた別稿にしたい。
 さて、合作ドローイングのことだが、1万から2万まで数字だけを連続して描き続けるというこの恐るべき作業は、その年の初夏の一日を利用して三嶋さんの西船橋のレールサイドスタジオで行なわれた。前年の『次は10,001から』の続編だった。前作もそうだったが、午後から始めて次の日の朝方まで(食事時間を抜くと)14時間をぶっ通しで作業したことになる。終盤はもうふらふらだったが若かったせいもあって眼や手はしっかり機能したものだった。最終的に、剣術でいえばぼくが[上段の構え]、三嶋さんが[下段の構え]にレイアウトされている。
 これには最初約束事があり「不可抗力を除き、飛ばさないで確実に1から10,000までの数字を描こう」ということであった。前作のこの取り決めはその日も有効だった。恐るべき作業と云ったのはインク壺とさしペンを使ってちいさな数字を水彩紙に描き続けること、その単調さが描き手の精神や身体に想像以上のプレッシャーを強いるということだった。ぼくらはこの神経衰弱のような作業に捉えられ熱中していたといえるが、終始三嶋さんのリードによってそれは見事に「結実、達成」されたのだった。作業中、山口百恵の歌やジャズ音楽などがスタジオに流された。広いスタジオのまん中に大型の丸テーブルが在り二人向きあっての作業。今から思うと新鮮で劇的な連続花火のような時間だった。
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 三嶋さんはグラフィックデザイナー粟津潔さんの助手時代があると聞いたがこの細密で大胆さをもつという「真摯で馬鹿げた」行為はもしかしたらその辺りにルーツがあるのかも知れない。唯一の休憩である夕飯にすこぶる立派なちらし寿司を注文してもらいスタジオでご馳走になった。当時三嶋さんはぼくにとっては一種憧れ的存在だった。国文社や冬樹社などの売れっ子装幀者だったからだが、ぼくがまだ油絵を描いていた時分である。そのカッコイイ装幀はぼくにはいつも新鮮な驚きだった。たとえば遡ると詩集『死者の鞭』(佐々木幹郎著)の三嶋装幀は(タイトルや目次まで手書き!)まさに歴史に残る傑作だった。本は装幀だけが美しければ良いというようなものではない、時代の情緒やテキストの映像としての表現でなければダメだということをこの装幀はあらためて教えてくれる。むろんそういう「内容」と出会える装幀者の幸運というものもある。何にせよその場に「在る」ことが大切なことなのだ。紛争の時代、京都大学の西部講堂の三嶋さんの壁画をみて装幀者を決めたんだと、あとで佐々木幹郎さんから聞いた。60年代末、ノンセクトラジカル!などと言っていた頃の話である。
 一度三嶋さんの手伝いをしたことがある。かの石岡瑛子さん、今ではアカデミー賞や斬新なコラボで知られる世界的なデザイナー。当時ぼくがファンだった女優フェイ・ダナウェイの友人としてぼくは承知していた。(フェイ、エイコと呼び合っている仲と聞いた、凄い!)石岡さんの事務所で作品整理の助っ人を頼まれた三嶋さん、その三嶋さんの手伝いがぼく。一緒に五反田の石岡さんのスタジオに出かけた。石岡さんは丁度パルコだったか沢田研二のヌードポスターのデレクションの最中だった。カメラマンやセカンドデザイナー、アシストの女子学生らが颯爽と動き回っているスタジオの厳しい空気は忘れられない。
 石岡さんがニューヨークの近代美術館(だったと思う)で、英語で講演するという。その折り使用するスライズのための作品整理が三嶋さんとぼくの仕事だった。別室で石岡さんの装幀書籍を選びだす作業。なるほど三嶋さんに頼むわけだとその時思った。石岡さんが笑み「三嶋さんは文学青年だから...」と言われたことと合わせて納得だった。このような小さな記憶だが日記をつけるでもなく99%確かに記憶しているのは我ながら凄い!と思うのだがどうだろう。まだぼけは遠い。
 一回目の試み、ドローイング『次は10,001から』は京都のギャラリーでのぼくの個展で発表させてもらった。その頃の京都新聞に「息つまるような二人の素描」という評が載ったが当時から生意気だったぼくはうん、批評はまあまあだな、と友人たちに言っていた。
 今、あの十数時間をもう一度やれといわれれば死ぬかも知れないなと思うのだが...三嶋さんは如何だろう、武蔵野美大の教授ではもはや時間がとれないのでしょうね。でも記憶しておきます。邂逅と友情が孕むふりかえる時間こそが未来に輝きを与え続けてくれると思うから。 
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●『磁場』1〜20号 A5判 130頁前後。表紙・目次構成は三嶋さん、表紙版画は野田哲也さん、目次カットは萩久保和征さん。(萩久保さんの銅版画集『黄金のうたた寝』を貰ったぼくは、それに刺激され自分の画集『一本の指もまた立っている』を上梓したいきさつがある)『次は20,002から』は最終頁の折り込み付録みたいな感じで挿入されている。(原寸70×21cm五っ折り)先日、田村さんにどうしてこんなドローイングを載せたか聞いてみたら廃刊間近だったので「もう何でもやっちゃえ」ということだったらしい。田村流発言に笑ってしまったが、やっぱり編集長は思いきりが肝心ですねえ。

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