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2008年9月

2008年9月30日 (火)

◎岡井隆第二十四歌集 『馴鹿(トナカイ)時代今か来向かふ-限定版-』2004年10月発刊

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.....ぼくが、この歌集を編んで、出さうとしてゐるとき「静かな場所」に坐ってゐるのを感ずる。今まで以上に静かな、「歌集の置かれる場所」がある。林のなかの木洩れ日の下の石のやうな場所だ。ぼくは誰にも知られることのない、その石の上に、この歌集を置く.....  「巻末記」と題された、少し長い「あとがき」の冒頭部である。 岡井さんの心境はつぎに「文芸が社会に対して一定の働きかけをした時代は、もう大分まえに終った。ぼくの本は、ぼくの周辺の限られた人にとってだけ意味がある。ごく個人的な事件として、この本は世に出るわけだ」と続く。本人が一冊、伴侶に一冊。それだけで足りるとも書かれている。 岡井さんには工芸的な稀覯本がないらしい。三方金や皮ばりの豪華本はその是非はともかく....  砂子屋書房の田村雅之さんから挿画用の膨大な数の版画制作の依頼電話があったとき「ぼ、ぼくを死なせるつもりか?」と思わず言ってしまった。忙しく雑多な今の状況ではとてもムリだと思った。だがすこし「表現」に対して欲求不満も溜まっていたこともあって、(安請け合いしたつもりはないが)話は早々と決まった。依頼といってもほとんどの装本のパーツは自分で決めなければならない。 ともかくスケッチを始めた。何色刷りでいくのかは未定だが2、3色だろうか、それ以上になるとそれこそ大変なことになる。2000枚以上、まさか全部自刷りなんてあり得ない。刷り師の手を借りるしかない。そもそも版画を何点挿入するのか?そして版画だけでなくそれに添った、凝った装本も考えなければならない。岡井さんは明治時代のイメージを考えぼくは昭和の初期を思った。昭和3年の図案(著者生誕の年)を調べてみるとまだアールヌーボウの影響が強く息づいている。多様だがおそらくどれも大正期に流行ったスタイルだ。表紙の花図案や扉の図案はこの方向できまりかなと思った。 版画の進行は遅々として進まず、装本のプランだけが固まっていった。一ヶ月ほど経った頃。そのうちに木版でのそれこそ「木洩れ日の下の石のやうな場所」に相応しいかたちがやっとみえてきた。材料やイメージも固まった。まず木版画を制作、それを分版原稿にして金版をつくりプレスで刷ると決めた。画は3種類、各々3版刷りとして、ヤレ(ミスP)をいれるとおよそだが少なくとも2500枚。3版だから刷り数は7500回、またはそれ以上。気が遠くなるような数だ。とても手刷りというわけにはいかない。木は小口木版のような堅牢な版木でもそうモツものではないからだ。

(この版画の刷りについての詳しいものがたりは、次項で)

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●四六判上製本函入り。表紙はバクラムの本背継ぎ。函は二種類のキュリアスメタル紙を中央で継いでいる。天金、紅白の組み花切れに銀色のスピン。問題は貼りあわせ段違いになった、つまり平坦でない面への箔押し。裏面の社印なども技術者泣かせ。いいかげんやり過ぎよって言われたが、よくぞ、感謝!感謝!感謝!  普及本の方は四六判上製カバー装。2色+1箔。    

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◎『馴鹿時代今か来向かふ』限定800部のための版画の刷り刷りものがたり

Tonakai  -中略-本自体の定価も押さえることになっていたから、テストプリント以外、ドイツの活版用小型ハイデル機を使ってみようと思いたつ。活版用ハイデル機はむかし東京で一度お目にかかったことがあるがその人間的な動きを思いだした。小型だが頬ずりしたくなるような名機中の名機。だがこのちいさな活版印刷機を持っているところはいまは少ない。京都でこれを使える竹澤敏夫さんという職人さんをそれこそ探偵のようにして、やっとみつけた。あとは交渉だがそんな仕事の経験がないとおっしゃる。ぜんぶ付き添いますからということでなんとか了承を得た。1日仕事である。わざわざ1日開けてもらい取りかかった。あらかじめ取り寄せた、きずき刷毛つき紙で試刷りをおこなう。インク台で凸版用インクを何色か練り合わせる、久し振りのインク作りだ。昔リトグラフをやっていた頃にインク練りは経験済み。エッチングのような小型缶ではなくオフセットなどの大型缶から無駄のないようにヘラを使って慎重にとりだす。素人がやると必ずインクが作業台に広がり過ぎる。久し振りに苦労して何色か混色するがなかなかいい色がでない。しばらく格闘してやっと1色。竹澤さんに刷り始めてもらうが、色が変化し紙にもうまくのらない。やり直しでインクの量が増えていく。心配していたムダがもう出来てしまった。作業続行だがどうも刷り圧が足らない。限界までもっとパッキンを足してもらう。何度か刷ってみてしっかりとインクがつくようになった。すでに何時間も経っていた。再開までの小休止の間、とてつもない絶望感がおそう。まだ一枚も決定刷りがないのだから...。竹澤さんも大丈夫かいなと心配気味だ。しかしやらねばならない。2版、3版、4版目と進んでいく。インク台のまわりは拭き取ったインク汚れの布やヤレ紙でいっぱいになる。なんとか最後の版にたどり着いたがもうくたくたである。なんとかメドはたったが時間もすでに限界だ。残りの刷りを次回にもち越すことにする。竹澤さんの予定を聞くが、なんとか週明けに都合をつけてもらえた。感謝である。-中略-  さて再開するとまるで事情が違っていた。曇りのち晴れ、それも快晴だ。竹澤さんも研究されていてアイデアもだしていただけた。色出しも刷りも順調でヤレも少なくて済んだ。最後にサインして落款を押して差し上げたが、何よりも共同作業の完遂を二人は喜んだのだった。突然来訪のおかしな奴だと思われたかも知れないが小生満足であった....  絵師がいて彫り師がいて刷り師がいて版元がいた江戸の浮世絵を思う。「書籍」も合作でしか産まれない。一冊の書籍にはいろんな部門の人が関わっている。いいコンビネーションが「内容の映像」である上出来の本をつくりあげるのだ。そして、装幀家平野甲賀さんの「一人だけ頑張り過ぎない」の意味がつくづくわかる、今日この頃であります。 ところでこの本にはご褒美があった。この本が読売文学賞を受賞したこともそうだが。岡井さんに版画を送ったところ墨紙をいただいた。「うるはしき版画を賜ひぬ馴鹿の 車のわたち深まれとこそ」倉本修氏に感謝をこめて...と添えてあった。しみじみとした味わい深い達筆だった。

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2008年9月18日 (木)

◎『ぱしゅみな』など14点 2000〜06年刊行

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 オフセット印刷物から起こした写真なのでどうも「荒れて」いる。馬場あき子歌集『飛天の道』、平塚宣子歌集『ぱしゅみな』、板倉玲二遺歌集『グレゴリオ聖歌』、岡井隆歌集『臓器』(装画今井祝雄)、小池光歌集『静物』、三枝浩樹歌集『歩行者』、『葛原妙子全歌集』、『前川佐美雄全集』、島田幸典歌集『no news』、塚本邦雄著『百珠百華』、大辻隆弘歌集『デプス』、前登志夫歌集『流轉』、合田千鶴歌集『The Morning After』、飯島耕一詩集『小説平賀源内』全14册。どれもこれも思いのある砂子屋さんの上出来製本。そのうち2点が「造本装幀コンクール」の受賞作。ライプチッヒの「世界で最も美しい本」展に出品された。製本は本のいのちだが一般的にいって手業はうまく後代に伝承されにくいもののようだ。それでは困るのだが...。
 これらの製本はすべて並木製本、高橋正吉さんの高品質な仕事である。以前新宿区にある仕事場にもお邪魔したことがあるが、業が慣れ染み込んだ器械類は近づきがたく底光りしていたのだった。 
 手仕事の極致、ヤイリギターの製作者の矢入一男さん、戦場いや、職場に掲げている大きな墨書きの銘は「高品質より我ら生きる道なし」。高品質とは何か。たとえば戦国時代の高品質な集団それは...。(盛り上がってきましたな)
 鉄砲武装した織田徳川連合の大軍を撃退した紀州の鉄砲集団雑賀党の優秀さこそ「高品質」にほかならない。かれらは射撃を工夫し技を磨きそれを常方訓練としていた。騨込めから発射それをくり返すはやさ、射撃の正確さは天下無双だった。その結果「小さな鉄工所」が「大企業」を制したのだ。古来、雑とは鉄、賀とは処(ところ)を指す。むろん歴史が示すように本願寺に準じた雑賀党はいずれ戦場を離脱。戦の帰趨は時には残酷だ。しかし雑賀党が大軍に降りたとしてもその技術は生き残った。かれらは「高品質より我ら生きる道なし」とやはり掲げるに違いない。それが高品質という生き〈残るもの〉の強さである。代々の名乗り「雑賀孫一」姓はその優秀な集団を率いる頭領の称号だ。そしてかれらがいかに少数集団であろうがその「高品質」は無能な大集団をはるかに凌駕するものであった。
 話はそうとう強引に脱線したが「製本」は書籍のいのち、ということは忘れてはならないということなんですが。
●四六判、A5判、菊判といろいろ。全集以外はすべて上製本カバー装。帯はすべてはずして撮影している。

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2008年9月14日 (日)

◎新聞カラーイラスト 2007〜2008年『倉橋健一の詩集を読む』より

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 現在、一年以上も朝日新聞の月1連載イラストをやっている。最初もともとの新聞紙の色ゆえだが沈み退色が起った。それを防ぐため新聞紙用のカラーチャートをつくりなんとか解決したが微妙な調子はこの際捨てねばならないことを痛感した。インパクト、それを求めた結果がカラフルになった第一の理由だったがこちらの気分や感情の変化もあった。「挿絵の意味」というやつだ。紙面全体の「高揚感」などということも考えている。まあ難しいが一ヶ月ごとの宿題ということでまだ答えやなしだ。
●原画14㎝×16㎝。全20点、現在も進行中。

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2008年9月11日 (木)

◎イリプス2nd 第1号 2008年4月刊行

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 新井豊美 岩成達也 北川透 倉橋健一 たかとう匡子 細見和之 氏らが参加の全国展開の詩誌。現在2号編集中10月に発刊。「ユルムチにて」「美しい動物園1」というぼくの絵本用原稿も入っている。装冊子一式も担当した。表紙墨一色。
 「短歌人」「地中海」「ハハキギ」「合歓」今度創刊される季刊「びーぐる」と結構忙しく表紙をやっている。マイナー誌表紙こそ自由に楽しみながらやる仕事。ずっと以前から小冊子経験から学んだことは多かったがなかには木口木版画自刷り200部なんていうのもあった。これは若さにまかせた力仕事だった。毎号刷り終えたあとインクだらけの手で麦酒を飲む喜びは何にも変え難いものだった。
●A5判152頁。カット、目次、フォーマット(らしきもの)も、だから装冊子一式。黒はマットインキの墨刷り。印刷後乾燥には手を焼いたそうである。ご免なさい。

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2008年9月 6日 (土)

◎浮海啓詩集『夜風の運ぶメモリー』2005年9月刊

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 「どこまでもふくれあがるもの ひろげればすべてが夢になるもの 皮膚に刻んだメモリー」(『夜風の運ぶメモリー』からの一節)
『試行』『あんかるわ』と終っていくなかで作者の小誌『詩編』に掲載されたもを収録、吉本隆明さんの帶文が付いている。「抽象のコトバと具象のコトバを織りあわせて豊かなイメージと意味からできた一枚の布」ということだ。詩作の丁寧さ、真摯さを意図されているのでは、と思うが..。
●四六判上製本。タイトルはつやけし金箔押し。

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2008年9月 4日 (木)

◎吉本隆明詩集『転位のための十篇』宮城賢訳 1995年11月刊

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 「火の秋の物語 分裂病者 黙契 絶望から苛酷へ その秋のために ちひさな群への挨拶 廃人の歌 死者へ瀕死者から 一九五二年五月の悲歌 審判」の十篇。昭和28年9月に自家版として出版された吉本さん29歳のときの詩集、その英語版。訳者の宮城賢さんは『試行』の詩人で自営の翻訳家ということだがぼくはお会いしたことはない。おなじく浮海啓さんも二冊目の装幀だが一度もお会いしていない。だが『試行』とまったく縁がないわけではない。(月村敏行さん笠原芳光さんには会ったことがあるし、ぼくは笠原さんの神戸での「森集会」にも参加したことがある)
●A5判上製本。束は薄く、角背。はなぎれは赤、スピン(しおり)は黒。カバー図案は自家製マーブルを左右に分けて金インキで刷る。


ずっと以前、本駒込の吉本邸にインタビューの撮影でお邪魔したことがあり、たまたま装幀の話を聞くことになった。松岡祥男さんらがせっかくだからと勧めてくれたのだが突然なのでどうも...。そのあとの麦酒を飲みながらの話は本当に面白かった。本編も自然体だったがオフレコは食べていた串揚げがのどにつかえたほど面白くて「ため」になった。オフレコ部ではないが「装幀」談の再構成の抜粋(少し長いが)をどうぞ。


●吉本隆明インタヴュ−[89年而シテ]より抜粋


◎吉本 菊地信義さんがいるでしょう。
◎倉本 はい、仕事はよく知っています。
◎吉本 あの人の装幀の展覧会をやったときにその初日の日に装幀のおしゃべりをしたことがあるんです。喋ってくれって言われたことがあるんです。それでいくつか類型づけをしたことがあるんですけ どね。今出されている装幀というのがこうなってるみたいな。そう いうのをしたことがあるんですけどね。そういう類型づけはともかくね。菊地さんにもそういうところがあるけれども、装幀というのを表紙だけじゃなくて、中身の活字の組み方というものも含めて考えると優秀な装幀家ほどやっぱりやるわけですよ。やるわけですよっていうのは、つまり本の内容と競り合うんですよね。競り合って競り勝とうと、打ち勝とうとするんですよ。そうすると今度はこっちの方つまり書き手の方からするとね、これやりすぎよっていうふうに思うわけですよ。ぼくの本で言えばね、『記号の森の伝説歌』 という詩集があるでしょ。これはやりすぎよって。
◎倉本 杉浦康平さんのですね、本文も含めて。あれはそういう印象がありましたね。ムードはありますね。
◎吉本 これだけやられるとね、まあ、中身を読まないことはないんですけどね、中身を読もうという意欲をまず相当な程度減殺されるわけです。
              ※
◎吉本 凝るわけです。凝ることとね、それからあるときには割合に意図的にやるときもあるんですね。意識的に中身をつまり俺の装幀で食っちゃおうっていうふうに意識的にやるときもあるし、そうじゃなくて無意識のうちにそうなっちゃうっていうときもあるんですね。凝りすぎでなっちゃうということもあるんです。で、これやりすぎよってぼくだったらそう思いますね。これやりすぎだって思うのがもう一つあって、ぼくと坂本龍一との対談で『音楽機械論』という本があるんですね。あれはもうやりすぎ中のやりすぎでね。装幀の人が。あれだったら、ぼくだってそうだけどね、中身を読む気が全然なくなってしまいますね。ぺらっとこういうふうにめくっていったら、写真はあるし図はあるし非常に隅から隅までそういう意味ではちゃんと神経を行き届かして装幀してあるから、もうこうやってめくっていけばもうそれだけでいいっていうだけで、交わされている会話を読もうっていう気はもうとうないっていうふうにできてると思います。
◎倉本 それは、内容を持った文章であるのに、画像として見えちゃうという見せ方ですよね。ポスターのように文章を見せるというかそういうことに徹底してると思うんですね。どうしても装幀というのは内容と対峙して、勝負するような、また、同じ土俵で勝負するような気持ちというのはものすごく大事だと思うんです。そういった意味では、ビジュアルの側に、視覚的なものの方にこう取り込んでしまうというか、勝ち負けじゃないですけど領分をかなり侵略してしまうところがどうしても出てくると思うんですよね。
◎吉本 そうです。だからあれは、中身はけっこうおもしろいことをちゃんと言ってあるんだぜということがね、また坂本龍一ってまじめなんですから、つまり四回対談してね、ぼくは音痴だから何もわからないわけ。しかしあの人は四回でもってね、何とかこいつに音楽というのを何とかわかる、わからないまでも興味は持てるっていいましょうかね、関心は持てるとこまでは持っていこうというふうに思っているんですよ。意図してね、それで四回で少しずつ、音痴で何もわからないっていう奴に、これを聞いてきてくれませんかとかね、いちいち工夫しながら、四回やってるんですよ。それでぼくの方から言えば四回目終わった頃にはね、もしかすると音楽というものがわかるかもしれないぞというふうに錯覚といいますか、そういうふうに思わせるところまではやってるんですよ。だからあれはね、中身だけ見たら本当に音痴でわからん奴が読んで、それであそこに出てくるテープかレコードかなんかを聞いていくとね、だいたい終わったときは何となくわかる、わかりそうだぞとかね。
              ※
◎倉本 啓蒙的な側面があると思うんです。杉浦さんのデザインもね、 どうしても読者に対してビジュアルで啓蒙するぞみたいなそういう面が感じられるんですね。その坂本さんの場合もそういうエネルギーを感じますね。
◎吉本 それもあったかも知れないですね。
◎倉本 ちょっと違う話になりますが、音符っていうものもやはり映像化、図面化していますからね。音という非常に抽象的なものを記号化していますから、音楽とかデザインていうのは造形的な側面がかなり強いと思うんですよね。詩とか評論にしてもそうなんですけども、活字化されたものというのはどうしても、何ていいますか内向的なんですね。ですからたとえば二ページ見開きありましたらね、上下のそういうデザインでくり返すと、文字の形とか読ませ方とかいうのはかなりコントロールできる領域に入ってくると思うんです。吉本さんが最初におっしゃられた、やりすぎだというのはその造形のコントロールが読むのに目障りなんですからね。
◎吉本 そうですね。文字を書く側から欲を言えば、書かれた内容に対立といいますかね、そう仕掛けながらしかし同時に内容を助長しているといいましょうかね、助けているというようなそういう装幀のやり方をしてくれたらば非常に理想的なんですけどね。なかなかそうはいかなくて、才能があればあるほど中身と張り合おうという形になってくる。杉浦さんの装幀はいつでもそうだとぼくはそう思います。それからあの『音楽機械論』も、もう眼で見る装幀でみんな食っちゃえっていう感じになってるんですね。これだったら中身読む人はいないよって、ぼくだって読まないよっていう感じになるわけで。もっともあれは何もわからない素人とか音痴をね、いかによくしていくかっていうのをちゃんと坂本龍一はやっているんです。そうしておいて何となくこっちの方もうんという感じでね、もしかすると俺わかるのかもしれないぞなんていう(笑)。ほんとうは音痴なんですけども何となくそういう感じにはさせるというところまでいったんですね。
◎倉本 萩原朔太郎が自装本をよくしてるんです。で、彼自身こういうことを言ってるんですけどね。装幀は著者自装でいいんだと。要するに熟考された「内容の映像」こそが装幀であるというふうなね、装幀は内容の映像でなければならないから、内容に精通している、たとえば著作者である自分がやればいいんだって、自分の著作をネコのイラスト書いたりしてけっこうきれいにやってるんです。先程おっしゃったようなビジュアルの専門家が内容をそっくり取り込んでしまうというようなことは、朔太郎の時代にはなかったんじゃないかと思います。ただ『月に吠える』という詩集があって、これは恩地孝四郎と田中恭吉がそれぞれ装幀と装画を担当しまして、実にこれは見事にきれいに上がっているんです。そのきれいさというのが、「内容の映像」のそれ以上といいますか、装幀で内容を転じることを可能にしていっていると思うんです。版画を使って間接的に方法を展開していったりという技術的なこともありますが、と同時に、読者が手に取る次元を考えて変化させていく、そういうふうな二重の仕掛けになっているんですね。装幀の持っているしかけ、その辺のところが巧妙なんですが、それとは逆にたとえばかなり醜い なあ(笑)と思う装幀でも、内容の映像にたがわないいい装幀というのも一方であり得るんじゃないかと、まあ醜いまではいかなくても、なんかそういうことはあるんじゃないかと。そして、きれいな装幀でもだめなものもあるんじゃないかと思うのですが。
◎吉本 そうですね。ぼく菊地信義さんの装幀の展覧会のときにおしゃべり頼まれてね、手持ちの本の装幀を幾つか——今行われてる装幀家のやり方が、幾つかの類型に分けられたわけですよ。そしてその中の類型で極端なことをいいますとね、いい装幀、悪い装幀という考え方に、二通りの見方があって、いい装幀っていうのは何か。たとえば中身は何であれ、いわゆる泰西の名画、ルオーの道化師だとかいってそういうのを表紙に持ってくるわけですね。そしてこれはいい絵画なんだから、これはいい装幀だ、というふうに言うより仕方がないのだろうとい
うやり方をしているのがかなり多いです。まあ著者もその名画が好きであるし、また中身にも決して矛盾しないということもあるんでしょうけど、だれそれの名画を持ってくる、そういう装幀ってけっこうこぎれいにっていうか、きれいにしてあって、あっ名画だっていう感じでね、それじゃあその基準でいえば、名画じゃないやつをここへもってきたら、それは悪い装幀だってなるわけですね。極端に言うとそういういい悪いっていうのがあって、そしてもう一つ極端にいうのは、今あなたがおっしゃったようで、朔太郎は多少絵ごころがある人でしたらからね。著者は自分の中身をいちばんよく知っているんだと、極端にいうと。そうすると著者がそれにふさわしいと思ってやった装幀だから、それは御本人がいちばんいいと思ってるわけだから、これはいちばんいいじゃないかっていう観点があるわけですよね。朔太郎だって絵ごころあるしね、俺の詩はこうだと思ってやってるわけだから、これが悪いっていうのは俺の詩が悪い(笑)というのと同じじゃないかっていう観点が一つあるわけですね。そうすると、それの系列で言えば悪い装幀というのは、要するに中身には関係なく装幀家が中身なんか全然関係ないよと、ここに空間があっ
てこういう本があるんだから俺は思い通りにやってやろうというのが、要するに朔太郎的観点から言えばいちばん悪い装幀、とこうなるんじゃないでしょうか。 (抜粋)

 

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◎小池光歌集『静物』2000年12月刊行

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「八月十五日ならめ まないたに動かざる蛸の生足いっぽん」
「わが妻のからだ五倍なる小錦が土俵を去りしのちのしづかさ」
「おうい雲 磐城平はどうだった つまらなさうにもどりくる見ゆ」
 芸術選奨新人賞歌集ということになる小池さん5册目の歌集。近景、中景、遠景とうまくそろった風景画のごとし『静物』集といえる。この写真は刊行予定の『歌の装幀』の見開き頁から。
 ぼくはよく酔っぱらって小池さんの携帯に電話してしまう。いつかなにかの会の喫煙処で「いつもすみません、でなくていいですよ」と詫びたら「いいや、でるよでるよ」と煙りまじりに念を押された。なにか申し訳ない、ぼくの悪癖のひとつ。(止めよう、いや、たまにはいいか、いやダメダメ!自分なら絶対でないよね)というわけ。いずれにしろ酔った明くる朝の発信記録を見るのが怖い。
 小池さんは旧海軍の「摩耶」という巡洋艦が好きだとは島田修三さんから聞いた。お二人で延々と軍艦少年のように話がはづんだらしい。面白い。いつか軍艦談話をしてみたいものだ。巡洋艦だといってもいろいろな艦型があって「摩耶」は「鳥海」「愛宕」「高尾」と同型艦、13400tの排水量の重巡洋艦だ。34ノットというスピードを持つが欠点は艦橋が大きく敵弾のいい的になるということ。資料によると就航昭和7年6月〜昭和19年10月に沈没とあるからほぼ12年間闘ったことになる。最期はレイテ沖海戦。初戦の段階で愛宕、高尾とともに海の藻屑と消えた。ぼくは重巡「最上」が好きで中学生のころ全長60センチのソリッド模型に挑戦したことがある。木を削りヤスリをかけ接着剤を使って組み立てる。本格模型だから細かい部品などがあって子どもには大変な作業だ。案の定すこしいびつなまま中途挫折してしまった。実際の最上は海戦中何度も味方艦と衝突事故を起こしている。不運もあるが繰艦もまずかったのだろう。闘いのさなかだから致命傷になるわけでそのようなドラマも模型制作中断の挫折感とともに子ども心に残っている。
 小池さんが編集人の一人の『短歌人(月刊)』の表紙は何年も続けさせてもらっている。自由なのがなにより有り難い。3色なのがみそで4色ほどカラフルでなく2色ほどシンプルでもない、要素の「盛り込み」には難しいこともあるがいろいろ工夫して楽しめています。
●四六判上製本。カバージャケットと表紙は共通のデザイン。表紙絵はぼくのコラージュ作品。石灰色の用紙、緊(筋)度が高く箔押しには向かない(いわゆる箔が泣き易い)がここはあえて墨つや箔押し。用紙のせいか頑丈な本に出来上がった。

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2008年9月 2日 (火)

◎蒔田さくら子第九歌集『サイネリア考』2006年7月刊

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 「シネラリアその名を忌みてサイネリアと呼びかへにけり大和ごごろは」
 花名が変わる、なんてことに見事に関心がなかった。なんとなくことばのニュアンスの違いを綺麗だなあ、怖いなあ、変だなあ、と思うぐらいだった。響きのよさを選ぶ日本人の言語感覚は正当な能力。あのシクラメンも最初サイクラメンだったそうだ。「本来サイクラメンと言うんだ」ではなく「昔はそう、今はシクラメン」なのだ...これでいいのだシクラメン。「本当は装訂という」そうかい「ぼくは額装もするから装幀という」これでいいのだソウテイソウテイ。
「起き臥しのけぢめうすれて深更のテレビにわっと戦火上がりぬ」
「かの八月 テレビのあらば残りけむ証されにけむ閃光の惨」
 だらだらとテレビを観てしまっているときがある。だめ駄目と思っても消す意志は起らない。仕方ないなと思っていたらいきなりテレビが騒ぎだす、戦争のニュース速報。いったい何時だ、時計を見る。えっ、もう3時...というような8月の未明。仕事がら徹夜もあるが連続するとたいへんだ。仮眠も苦しい起き臥し逆転、たまにありますねこんなこと。でももはや体力が...。
 蒔田さんからお誘いがあって2003年2月にNHK歌壇(いまはNHK短歌)のゲストで出演したことがある。イラストレーターの木元研次さんがDVDを送ってくれた。それを見るとぼくが始終あがっていたことがわかる。木元さんは「かちかちなのが面白かった」と。肝心の投稿歌の評は「そのまんま」歌のなかみそのまんまだった。リハーサルもカメラの前に30分 座っているのも慣れないことだった。しかも全国放送。渋谷のNHKを出たときはもう「つかれたあ〜」と情けない話である。たかがTVじゃあないか、が新幹線に乗るころにはまさかオンエアーされるんじゃあないだろうな、というアホウな不安に変わっていた。いいことは二つ。装幀作品のビデオを撮ってもらえたこと(あとで放映を見たがよかった)、もう一つはスタジオの啓翁桜(けいおうざくら)をいく枝かもらえたこと。いけばな師範の母にいいみやげができた。案の定、綺麗な桜の束に大歓びだった(ぼくの数少ない親孝行の一つなるも)。ゲストの歌ということで下の歌をぼくが詠んだ。
「彩りの抽象束ねよカルトンに われは一人のカンデインスキー」
 だいぶ経ってから魚村晋太郎に結句がどうもと言われた。う〜ん、歌は難しい。「可笑しいな黄昏どきの小錦はゆうらりゆらり南無阿弥陀仏」「ゆうれひの考えている幽霊の日々は暮れゆき日々はまたぞろ」「問題外ですねえこれはどうも...」と言われそう、ふふ。
●A5判上製本。表紙布クロス。カバー図版は1滝の水しぶき、2旅客機、3パプリカ、4サイネリア、5砂地、
6水晶ネックレス、7赤富士のアッサンブラ−ジュ(アンサンブル)。カバージャケット用紙はシマメ白。カバーそでの石ころたちがほんとは一番凝ったところ。表そでと裏そでとは陰が少し違うのがみそ。簡単に」見せないのもみそ。タイトル・ネーム共に墨つや箔押し。とにかく帯はキラキラの黄緑。

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おしらせです

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