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2008年8月

2008年8月25日 (月)

◎山中智恵子全歌集(上下巻)2007年5〜8月刊

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Moyuranoki

 「一片の氷心天河に在りてありはてぬ恋に死になむ 虚夢のごとしも」 
 山中さんはぼくにはその高みにおいて「到底理解不能なる歌人」に違いない。昔に遡のぼって、この大歌人の仕事に対して装幀を十数冊もどのように続けてこれたのかまったく思い出せない。薄氷踏むがごとき冷や汗のでる話である。    
 山中さんのことでは編集人の田村雅之さんはたいした発行人だと思う。田村さん自身のことはまた別の機会にゆずるがこの山中さんの全歌集こそ出版人田村雅之のいや、砂子屋書房の歌書出版のひとつの集大成といえるものだろう。そして...装幀者は肝にめいじなければならない、このような歌人と編集者に出会えた幸運と歓びを。
 永田和宏さんの栞(下巻)の言葉を借りれば「とことん山中智恵子に付き合うという姿勢、最後まで付き合うという決意」「採算を度外視した事業」この反時流の言葉らは発行人冥利につきるこの上ない讃辞だ。砂子屋さんの内情をすこし知るぼくは企画本や全集が連続するとため息が出るほど経済がひっ迫することを知っている。だがそんなことをおくびにも出さないで酒を振舞ってくれるタムラ流がぼくは好きだ。
●上下巻ともに菊判函入り上製本。表紙、本背継ぎ装幀。山中さんは碧色が好きだった。黄土色は駄目。表紙の背部分は本クロスぞうげ色、ひら部分は濃紺の本クロス(理想の碧クロスはみな廃品となっていて、やむなくバクラムを使用)。背文字は墨つや箔押し。貼り函の図案は上巻「鳳凰・星・南天」文様。下巻「銅鏡面・鳥・散り花」文様。この写真ではすこし青いがほんとはもっと石灰色の細めエンボスの入った用紙だ。文様の箔は白金箔で特注のものである。ぼくとしても我が儘を通すしかなかった。上下巻合わせ1248頁の充実した全歌集。1頁10首組だから後ろの解説、解題、年譜を差し引いても、たいへんな歌の数だ。
 亡くなられて、東京での「偲ぶ会」でどういうわけかスピーチがまわってきた。ぼくの京都での個展に山中さんが来てくれたときの話...終始黙しておられたこと、うっすらと笑みをたやさずおられたこと、そして歌人の方はほかに誰も来なかったことなどを話した。(そりゃあ案内送ってないのだから仕方ないのだし)
 しかし「偲ぶ会」の帰りの新幹線では自分の山中装幀本を振り返って落ち込んでしまった。つくづく装幀は難しい、30年近くやってきてそう思うのである。本当の「装幀の怖さ」がわかる今日この頃です。
◎玲瓏の記(もゆらのき)2004年5月刊
 「千年の歌のちぎりの嬉(うるは)しくはた虚しきを誰か知る」
 後記に「たぶんこの集は私の最終歌集となると存じます」とある。どきとする17册目の山中歌集である。その最終頁の歌がこの歌。これは理解できる歌だがなにせ結句に「虚し」があるから厚かましくこちらも「虚し」くなってしまう。山中さんはもしかしたら「生まれ違い」なのか、数年前に三重の斎宮(さいくう)の地に何度も足を運んだが不思議な風水を感じたのはぼくだけか、資料館で山中さんの『斎宮史』を発見したが今思うとなんか虚しいです。
●この本は四六判函入り上製本。表紙は本背継ぎ装本。「星くずし」文様を拡大して函のひらにつやけし銀箔押し。用紙は徹底してキュリアスメタル紙を使った。紙と紙による背継ぎ。函のタイトルは濃紫の顔料箔押しだがこの写真では判別しにくい。この濃紫は山中さんも気に入ってくれたのではと思うがどうだろう。

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2008年8月23日 (土)

◎歌集『マドリガーレ』2006年5月刊行

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 「泥水よりあがりて浄きそのからだよせあひゆけり二頭の河馬は」
 河馬には自然の泥水がよく似合う。愛=泥水と考えるとこんなに仕合せな神々しい情景はない。河馬はぼくの思惑よりずっと美しい生きものだった。それにしても紺野裕子さんの「リアルな空想旅行」は尽きることがないようだ。何かの会のおり、挨拶を交わした。「やあどうもどうも」とそれは空想ではなく。
●A5判のサイズ、上製本で束(背巾)は充分。日常と非日常のはざまで揺れる「マドリガーレ」どんな衣裳がふさわしかったのか...。それにしても妙なことが起った。背文字のネームが抜けてしまっている。コピーもとには確かにあったから原稿は正しかったはずである。何故?いまだにわからないテイクONEであった。タイトルはつや消しの赤金箔。絵は自分で制作したマーブル見本からトリミングして使った。全面ベタなのだが、なにより色彩がきら紙に屹立している。ゆえに白ヌキの植物図案ラインも映えるというわけだ。

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2008年8月22日 (金)

◎詩集『かいつぶりの家』 2005年9月刊行

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「なんとよく調和した心地よい和声 いつの間にそんなに 唱えるようになったの」(『唱う家』の一節)
 著者は本来もっと激しい奇想の人なのだがこの一節は「振り返る」やさしさに満ちていると思う。
 川野圭子さんは広島に住んでいる。まえの詩集『テストの時間』の出版記念会の次の日、ぼくらを呉・倉橋島・江田島へと案内してくれた。ご主人の車に乗せてもらって山手に上がったり、船に乗ったりして呉を満喫した。呉といえば海軍兵学校。戦艦大和のドックや大きな戦没者記念碑もいくつも廻った。(その時点で大和ミュージアムはまだ無かったが...)ぼくは時間が止まったようにわが「海軍の戦争」を振り返った。
 江田島にはいま旧海軍時代から続く海上自衛隊の術科学校があるが海軍に関する遺構も多く、その構内には戦艦陸奥の主砲と大和の主砲弾、特攻兵器回天など勇壮でじつは悲惨な「兵器」が在った。終局追い詰められた日本の姿は多くの特攻兵器に象徴される。理不尽さゆえの虚しさや怒りをおぼえるがこれが戦争の無惨というものなのだろう。参考館内の展示は誰しもショックを受けるだろう何十という数の若い特攻隊員の遺言の手紙。「二十歳そこそこの若いものを軍隊の洗脳やすり込みによって云々...」などというが今の人だって商業主義や消費社会によってすり込まれ情けない低レベルに均一化されているじゃないか。どれほどの人がいま自分自身を「確実」に自覚しているのか、怪しいものだ。
 若くして自分が死を受けとめることは誰しも辛いに決まっている。狂ってたのは彼らではない。だから尚更あの遺言たちの潔ぎよさが痛々しい。
 夕方、広島に戻ってお好み焼きを食べ歓談して川野さんたちと別れた。同行の倉橋健一さんと「とてもやないけど大阪の連中には内緒やな」と訳のわからないような変な了解をしあって帰阪するのだった。いつも愉快な論客の倉橋さんもめずらしく静かだった。シーンと新幹線も同じように黙って奔るのだった。

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●この詩集はA5判上製本、カバージャケットは墨色と、こき緋色の2色。152頁だから詩集としては充分の束(背巾)がでた。エッチングの墨を全面に押し出した装幀でエッチャ−(私)の自信満々の様子がみえる。この画は『ブリムオーバーアゲイン』という未刊行版画集のなかの一点。シリーズの数点を絵はがきならぬ絵封筒にした。これはイラストレータ−の西口司郎さんが勧めてくれた紙屋さんとのコラボだ。いろいろな紙を使っていろいろ印刷してもらった。なかなか評判のいい封筒で美しい「きらびき」のものはもう無くなってしまった。もし欲しいひとがあればおすそわけしてもいいです。ちなみに『ブリムオーバーアゲイン』は現在もまだ制作中です。

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2008年8月18日 (月)

◎麦酒伝来(びーるでんらい)2006年7月刊行

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 森鴎外や夏目漱石。乃木希典や大山巌。明治の欧州留学派たちの多くはラガービールをこよなく愛したという話。ビールと日本の近代史も理解できる『ビール小事典』付きの超お得な本です。
 鴎外と乃木はやたら気が合ったというが二人ともプロシア・ドイツの陸軍の伝統「一気飲み」をも伝授されていたとは驚きである。鴎外の「独逸日記」にとんでもない量をのむかれら将校の話がでてきます。「諸生輩麦酒を喫す。その量驚くべし...」それによるとドイツの500ミリリットルのジョッキ25杯飲むものはザラだそうで鴎外が1リットル飲むあいだに相手は12リットルも飲むというのだ。恐るべしプロシア・ドイツ。ちなみにぼくは20代で大ジョッキ15杯、40代で12杯、50代で5杯とまあ普通です。
 英国のエールビール、ドイツのラガービール、これがビールの二大種類。わが国は幕末から明治初期まではエール中心、明治10年代からラガーへと変わったがすなわちそれはフランスからドイツへ日本国軍隊の範も変わったということだ。その時代多くの留学生は帰国しドイツ式を日本に広めたのであろう。(書籍意匠もまたしかりだが...これはまた別の機会に)

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●四六判ソフトカバー。314頁。カバー写真は著者所有のジョッキたち。一つずつ顔が違うのがいい。この写真もとはラフなスナップだった。修正してなんとかグレードを上げたが背景の黒は苦心の作。完全に創作したところもあるが原版と比べると、内心ふふっと笑う程の見事なわがテクニックである。注目すべきは下の写真、世界で最も大きなミュンヘンのビール祭り。鴎外も「独逸日記」に書いている十月の雑踏。とんでもない人々の波だそうだ。「オクトバーフェスト」というお祭りだが会期中なんと550万リットル!のビールが消費されるという。話がそれたがこの写真は「オクトバーフェスト」の会場の天井の飾り。
 宝塚ホテルのがらんとしたビアホールでラフを編集者の谷川さんにみせた。好感触だった。楽しく仕事をさせてもらった。こういう時は大抵うまくいくものだ。先月取材をうけた毎日新聞の『創造の風景』(8/15夕刊掲載)の記事に「結局、うまい酒を飲みたくてやっているのかな」とぼくのセリフでむすんであった。たしかに自分で言ったことだが苦労のあとのうまい酒はホントにたまらないものだ。
 それはともかくこう暑いとさらにビール旨し。著者と編集者(村上満さんと谷川豊さん)とぼくと三人でドイツビールを飲もうといった話は何処にいってしまったのでしょう?谷川さんなんとかして下さい。

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2008年8月12日 (火)

◎魚村晋太郎第二歌集『花柄』

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 「もうあれは終ったんだと夢のような花柄のシャツ着て俺が言ふ」
 今年の正月に阪急京都線高槻駅近くのビアホ−ルで昼のうちから二人で呑んだ。正月休みの店も多いがここだけは開店していた。魚村晋太郎は京都から来てくれたが、暮れからの飲み過ぎでビールジョッキが重い。
 注文がワインに変わる頃に『花柄』の装幀は良いよという話になった。なにせ昨秋、出張先の有馬のホテルにまで下絵を見に来てくれたのだからぼくも緊張してしまった。今度の装幀はご本人も気にいっているとのことだがカバージャケットなしの変則装幀。もちろんカバーなしは何冊も経験している。先の『銀耳』(ぎんじ)はいま一つ気にいってないというのも知っていた。かれは「ちょっとだけ入魂」と笑いつつもぼくを責めるのだったが、ぼくももっと派手綺麗にやってもいいかもと思っていた。やるべき深まりが掴めなかったせいもあるが、何か「エロチックなヤクザ」のような男(俺)が静かに立っているような感じがするそんな独身者の(いや孤独な)歌人だとも思った。がしかしである。ご本人も外見はそう見えるのだからしかたない。いつか京都駅下の飲み屋で島田修三さんと三人で焼酎を飲みながら、魚村くんはどーみてもその筋の貫禄だねえ、と酒の肴にしたことがある。あの島田さんもたっぱもあり貫禄(大学教授とは違った意味で)もある。その人にこう言わせるほど「危険」な感じがするのだからしかたない。店員も失礼のない様に必ず魚ちゃんを意識してオーダを聞こうとする。ぼくとは可笑しいほどの貫禄の違いだ。(ぼくがトンボでかれは大きな蝦蟇?失礼!)だがかれはホントは腰の低いよく気のつく繊細な人だ。その筋の店でもバイトしたことがあるというがそこでの話はいろいろ面白かった。かれは苦労人だなあと時々思うことがあるが何故そう思うかは分からない。かれの直感に対してのぼくの直感。...だからまったく確証があるというわけではない。ちなみにかれは故塚本邦雄さんの上出来のお弟子さんである。
 「労働といふのはなべて(ある意味で)求愛行為、思ふ。夜更けに」
 「四ッ谷って丘の上だね一日中寝ていたひとと駅で落ち合ふ」...(い)が違ってますが...
 「夏風邪の喉をすすぎて褐色のひかりの束をひとは吐き出す」
 ぼくはこの歌集の評というものを読んだことがない。まああまりぼくには関係ないと思うからだが。ぼくが美学生のころの合評会にこんなのがあった。教授:「君、もうすこしこの部分に赤を」というようなことは、まるで聞けない話だった...ほんとに言うほうも聞くほうも両者とも孤独なものです。
 ところで有馬の夜はその他にも盛り沢山だった。飲み手先攻タムラマサユキ、後攻クラモトシュウ、審判ウオムラシンタロウ..というわけで三人はいつまでも飲み続けるのだった...。

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●この本は四六判変型。本クロスとキュリアス紙との本背継ぎ装。タイプの箔押しはなんと特注の「白金箔」二本の曲線は空押し。光りものにもぴんからきりまであるがキュリアス紙はぴん。扉はちょっとエロチックなライン。

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2008年8月 9日 (土)

◎懐かしのサルトル『嘔吐』

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 50年も以前に刊行された人文書院のサルトル全集、その新装版シリーズの装幀。35年も前、頭を奮い起こしながら読んでいたがその装幀に自分が関わることになるとは...。当時ぼくはカラーマーブル紙の制作に熱中していたこともあり、このシリーズはマーブルでいこうと決めた。欧州のマエストロがつくる見事にくり返されるマーブルと違い、素描絵画としてのマーブル。それを試してみたかった。使用する色数は内容からみてそれほど必要とはしないが、用紙の選定には熟考が不可欠だった。めざすはサルトル前作のイメージ払拭だったが装本の一部は昔のものを残したかった。もとの準フランス装はたいへん「感じ」が良かったからだが、現在の製本・出版環境でそれは残念ながらムリ。つねに野心的な仕事は矛盾を孕んでいるものだがこのときほどそれを感じたことはない。いいものでもどんどん変えてゆくご時勢なのだろう。
 STカバー用紙でジャケットをいく、というのはちょっとリスキーなこと。編集部の小林ひろ子さんはどう思ったろうか。STカバーという紙は横ラインのすき文様があってこれがぼくにとって前作の「雰囲気」を感じさせるものだったが小林さんはどうだったろう。だいたいぼくのコスト計算は高めだから、はたして定価にみ合ったものになったのだろうか。続けて『文学とは何か』『真理と実存』『実存主義とは何か』『哲学・言語論集』『植民地の問題』『存在と無・上下』『自我の超越 情動論粗描』『言葉』などが上梓された。

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 あるとき小林さんが『嘔吐』の読者カードのコピーを送ってくれた。そこには「装いが見事である。字体、色の配色等が美しかったので購入した。内容についてはもはや語るべきことはないであろう(原文ママ)」とあった。消印から察するに横浜伊勢崎の人らしい。これこそ装幀冥利に尽きるというものだ。

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2008年8月 8日 (金)

◎石田比呂志歌集『流塵集』

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 子どもの頃、清く正しく美しくなんて言われて、そんなものかなと思っていた。長じてそんなことはあり得ないと思うようになるのが普通。この世はひどく汚らしい奴らも多いから、こっちも染まっていくのも普通。なかには恩知らずや恥知らずも、エゴイストもいるだろう。ホントはご免こうむりたいのだが...やんぬるかな、と思うのも普通なのだろう、しかし....
 ちょっと昔に肥後熊本の歌人、石田比呂志さんから「伊佐美」という芋焼酎を送ってもらったことがある。「ちびちび呑るといい」ということだった。そもそも京都での呑み会での約束だった。酔会での約束はたいてい破られるものである。アルコホルと同じく悪げなく霧散していくもの、だが石田さんは送ってくれた。麗しき伊佐美に口をつけながら、石田比呂志歌集を読む。十冊目になる『忘八(ぼうはち)』だ。タイトルについて依頼のおりに「きみそのものだなあ」と編集者は笑い、いやあ「あなたそのものだろう」とぼくも笑った。それにしても渋い...。
 なんて渋い装幀だろう。自分でいうのも何だが、ちょっと渋すぎるかも知れない。
 「いろいろ反省しています、勘弁してください」畢竟、石田さんにとって忘八の意味はそんなところであろうと思われる。だが石田さんは仁義をまもる。ひょっとして礼も信も、ことによると、智や悌も備わっているかもしれないなと思う。う〜んわからないがとにかく伊佐美は旨かった、これだけはたしかだ。石田さんありがとう。これで最後だなどと言わないで、どうかご自愛ください。そしてまた女人の話でもしながら愉しく呑みましょう。

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●石田さんの本の装幀は写真のようにたくさんやらせてもらった。(これでも一部)A判のものもあれば四六判もある。『忘八』はグラシン巻き。各々ぼくの版画や水彩を使ったり、文字だけでやったりしたものだ。現在『流塵集』というのを装幀アップしたところである。極力単純にミニマムなイメージでつくりたいと思う。石田さんの場合いつもそうだが、装幀に取りかかる気分は浮き浮き気分だ。なぜか楽しい、大歌人なのになぜかしらん..。石田さんの本は書架でなく、こんなふうに取り出して仕事場に積み上げて見るほうが似合っていると思う。

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2008年8月 7日 (木)

◎馬場あき子歌集『飛天』

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四六判上製本の歌集。「月光はレモンの香となりてわれのみが冬の仕事はたさず」まったくぼくもその通り家人に迷惑をかけつつ生きています。これでいいのでしょうか。ん、誤読?そうかも知れませんね。
 この表紙も本クロスの背継ぎ。ひら面のシェレナという紙は岩肌っぽいマチエールをもつぼくの好きな紙のひとつ。いつもそうだがプレッシャーに苦しんだあげくにこの紙を選んだ。光っているのが嫌いだという著者もいるからだ。ただやたら光りものを使っているわけもなく、よくよく考えてのことだから勘弁して下さい。記念会などで馬場さんを見かけるとちょっとびびってしまう。でも話っぷりがたいへん好きで以前、塚本邦雄さんのお葬式で弔辞を聞いた時その口跡はみごとにカッコよかった。(不謹慎ですみません)うちの母もいい口調をもっているが性分が似ている?のかも知れない。
 『阿古父』という読売文学賞の歌集(第十三歌集)がぼくは好き。グラシン紙天地巻きというやつで薄紙の中から赤金箔のタイトルがにぶく光っている。バック色フレームの薄はなだの上にちようじ紋様の図案。なぜちょうじなのか。最初そのかたちを見たとき「阿古父面」に似合っていると直感した。能面にこれほどの軽快さは発見できなくともテクストから「すこし離れること」ができるのだと思う、そういう直感だ。面そのもの
よりそのほうが圧倒的に爺の香りがするというものだ。「付き添わない意匠」はぼくのその頃のモットーだったからこれでいいと思った。

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◎『定本多田智満子詩集』

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 菊判上製函入。旧い話だが多田さん愛用のブルースーツの色を函仕立てにした装幀。神戸のライブハウスの朗読会でお会いしたとき何と似合っていることかと感嘆してしまった。煩い会場だったがその一点だけが清新かつ美的だった。写真は発行予定の装幀作品集の中の見開きのページ。表紙は本クロスと細布の本背継ぎ。函の紋様は19世紀英国文様をコンポーズブルーのオペークインクでのせた。多田さんはそんなに親しいつき合いがあったというわけではないがその青はぼくのなかでは[タダブルー]として定着している色だ。「青の中の青」とはアメデオ・モジリアニの少女の絵を思いだすが....
 ごく最近、詩人のたかとう匡子さんが仙台の演劇研究「ACT」にこの本と「装幀家倉本修」について書いてくださった。自分でいうのもなんだけど、そして面映いのだけれどうまくまとまった論だと思った。

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2008年8月 5日 (火)

『太田省吾 劇テキスト集(全)』

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太田省吾さんが亡くなって一年が過ぎた。先週の一周忌に東京の俳優さんたちと電話で話を交わしたが太田邸は賑わっている様子だった。もはや皆が再会した「偲ぶ会」から一年近く経っているのだ。こちらは大阪の岩脇正人邸でじっくり呑んでしまった。
 省吾さんを最後に見舞ったのは白金台の病院だった。その病院の窓から遠くに六本木ヒルズが見え下には女学校の緑があった。省吾さんはベットを傾けて窓の外を眺めていた。綺麗な病室だった。何週か前後して安藤朋子、枝元なほみ、品川徹、大杉漣、佐々木幹郎、辻上彰二さんらが順次お見舞いに訪れていた。製作中の太田省吾テキスト集のカバージャケットのプリントはもう病床に届けてはいたが本文が未だ完成には到ってなかったから焦りもあった。病床の人にあとがきの催促はちょっと辛いものがあった。発行者の高野達也氏と「どうしょうか」と悩みつつも「短くてもいいですから....」とお願いした。省吾さんは「大丈夫」と笑ったがやはり無理だったろう。結局、遺文として病床のメモを掲載することになってしまった。本の完成をみることなく省吾さんは逝ってしまった。「残念」という言葉はこういうことをいうのだろう。十数年を振り返りもっといろいろ話しておけばよかったという悔いが残る。
 2006年秋、西荻窪のレストラン「こけし屋」で太田さんとこの本の最初の打ち合わせをした。ぼくはずっと以前この近くの松庵というところに住んでいたがその頃とは駅や近辺の様子は様変わりしていた。だが「こけし屋」はまだ在った。なにか嬉しかった。禁煙席と知らずに太田さんは煙草に火をつけた。ウェイトレスに促されて止めたがほんとはぼくがそうするところだった、煙草の銘柄は....しかしなぜこんな細かいことまで憶いだすのだろう。初恋を憶いだすようなものだ。まったくう、苦笑してしまう。太田さんはヘビースモーカーだった。そのときを振り返るとすこし咳もでていたと思う。ぼくは持っていた葉巻きを出しそびれた。
 ●この『劇テキスト集(全)』は初期の「乗合い自動車の上の九つの情景」から「↑ヤジルシ」までの26点のテキストを集録、B判の変型本。装幀の発想は、ぼくが何度も観た太田省吾の舞台。ファーストライトとエンデイングライトのイメージをまとめた。黒→白→黒がねらい。656ページ、エンビケース入。写真のようにぶ厚くて四角い顔をもつ大作。26点の扉写真の小ささに太田さんは最初驚いたらしいがしばらくすると小さいのが気に入っているとファクスがあった。じつは扉には工夫(しかけ)があったのだが...。見返し用紙はマットな黒、これに銀ペンで太田さんのサインが欲しかった。本文組みは最初、じつに不安定だったが大阪の組版の名人、大石十三夫さんに一緒に上京してもらって指導してもらった。健康ジャーナル社の勝部愛さんも頑張った。本のかたちが出来上がってしまうといつも不完全だなあと思うのだが扉写真ページはラフの方が断然良かった。それは間違いない。
 品川徹さんの大阪での公演があり梅田でお会いしたとき、近くの古本屋街で『劇テキスト集』を発見したということだった。価格は6千円ぐらいだったという。はやくも古本かと驚いた。

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◎装本[SOHON]の仕事

Honndana_2倉本修書架1・2008/8/4
Hondana_2倉本修書架2・2008/8/4


長いあいだほったらかしの自分の書架をあらためて眺めている。自分の装幀の仕事を振り返り少しだけ考えてみる。3000册の装幀はしかと3000の「生」を支えたのだろうか、はたして....。
 昨晩、猫の尻尾をおもいきり踏んずけてしまった。ぎゃあと猫は夜空に飛んだ。地面に着地したそのかたちは一冊の本だった。
 『我が輩は猫デアル』の猫が溺れ死ぬ最期のシーンを想う。なるほどわたしに似ているかも知れないし...このように死するのかも知れない。まあそれまでは自由気儘にいきます。
 本来のブログは興味薄だ。アクセス数など気にせず表現としてのそれを楽しみたい。

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